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赤岩重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)はお蚕さんの里
赤岩集落は、背後の山から白砂川へかけての傾斜地の中腹立地している集落です。集落はメインの通り沿いに屋敷がコンパクトに纏まって建てられています。
赤岩集落は古くから養蚕が業が盛んで、幕末から明治時代に建てられた養蚕農家が数多く残っていて、「お蚕さんの里」と呼ばれています。
屋敷地の周囲には農地がありますが、農地はほとんどが畑で水田はほとんどありません。
山側には、上の観音堂、向城の観音堂、赤岩神社が集落を守るように取り囲んでいます。
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観光案内所 赤岩ふれあいの家
赤岩集落を散策する時は、まずは駐車場の近くにある観光案内所「ふれあいの家」に立ち寄りましょう。
ここでは地元の当番の方がいますので、地元の話を聞くことができます。 ここで赤岩散策マップを入手してから、赤岩集落を散策しましょう。
平日で観光客の少ない時には観光案内所前の駐車場に車を停めさせてもらえます。一応、観光案内所の方に確認をとるのが望ましいです。
水車小屋は休憩所と赤い郵便ポストが可愛い
観光案内所の隣りにある水車小屋です。訪れた時はコスモスがきれいに咲いていました。
水車小屋はキレイに手入れされています。前の赤いポストが可愛いですね。 この水車はまだ現役で動いていました。
上(かみ)の観音堂は18世紀の建築物
水車小屋の裏の道を山の方へ登っていくと「上の観音堂」があります。
この上の観音堂は宝暦14年(1764年)に、関吉兵衛絵という人が願人となって創建されたもので、赤岩地区で最古い建築物です。
- 左に、不動明王像
- 中央、聖観音立像
- 右に、薬師如来像
観音堂内壁面の貫より上部には全面に麒麟などが描かれています。
仏壇上部の肘木がまるみの少ない曲線であるという18世紀特有の形状をしていることから、創建当時の建造物の可能性がある貴重な建築物です。
観音堂の屋根は、赤岩地区で現存する唯一の茅葺屋根で、平成12年1月に地区住民によって葺き替えられました。
地区の住民の方に大切に維持されている建物ですね。
上の観音堂は山側にあるので、観音堂から赤岩集落を見渡すことができます。
湯本家住宅には高野長英を匿った「長英のあいだ」がある
湯本家住宅は、赤岩地区中央部の山側に建っています。文化三年(1806年)に二階建てで建築され、そして明治三十年(1897年)に養蚕の為に三階部分が増築されました。
湯本家住宅の特徴として享和三年(1803年)に発生した赤岩集落の大火を教訓として土壁と置屋根の土蔵作りで建てられていることです。
主屋二階の北西の角の座敷には床柱に珍木が使われており、地袋の引違い戸には天使の飛ぶ金唐紙が貼られています。
当時としてはずいぶんと技巧を凝らした造りの住宅ですね。
湯本家は江戸時代には医者を務めており、幕末には長崎でシーボルトに学んだ蘭学者の高野長英が脱獄した際に匿ったと言い伝えられています。
長英を匿った二階の間は「長英の間」と呼ばれています。 通り側に面しては趣向を凝らした座敷が設けられていて、町家的な要素も残しています。
湯本家の主屋には地階も設けられていて、戦前までは湯本家で造っていた薬用酒造りに使われていました。
稚蚕飼育所跡では蚕が飼育されていた
赤岩集落の中央部にある火の見櫓の手前を山側に進んでいくと右手に「稚蚕飼育所跡」があります。
トイレも併設されています。
「稚蚕飼育所跡」の案内板があります。中に入ると天井照明のスイッチがありますので、中に誰も案内の人がいない時には、自分でスイッチを入れて見学してください。
稚蚕飼育所跡の中には、絹や蚕の資料が展示されています。
蚕の一生の説明資料もありました。
靴を脱いで上に上がると実際の繭玉が置いてありました。この繭玉は、時期によっては無いかもしれません。
私達が訪れた時は、実際に蚕が飼われていました。
この稚蚕飼育所は、卵からかえったばかりの蚕の飼育はとても難しいので、共同で稚蚕を育てるために建てられたものです。昭和37~38年頃に建てられました。
天井には換気用に開口部が設けられ、下部には温湿度を調節するための設備と思われる電線が敷設されています。
群馬県で戦後最も養蚕農家の数が多かったのは昭和33年で、84,470戸でした。
そのうち赤岩集落のある六合村は270戸で、繭の収穫量は31トンもありました。
現在の稚蚕飼育所は。観光客向けに座繰りや組み紐作りの体験を行っています。
長英の隠れ湯は観光客も臭良く出来る共同温泉
稚蚕飼育所から山側に歩いていくと左手奥に綺麗な建物がみえてきます。
この建物が『長英の隠れ湯』と」呼ばれる温泉の共同浴場です。
この長英の隠れ湯は、観光案内所でもらえる赤岩散策マップには載っていないところです。私も実際に行ってみるまで知りませんでした。
この温泉の共同浴場は地区の方が当番で清掃・管理されています。 地域住民の方の共同浴場ですが、観光客の方も入浴できます。
入浴できる曜日、時間は現地で確認してください。 共同浴場なので受付とかはありません。
そのかわりに入口に募金箱が置いてあるので、入浴する時には募金箱に100円入れて入浴します。
道路側から見たとき綺麗な建物が見えたので、何かなと思って行ってみると「長英の隠れ湯」と呼ばれる温泉の共同浴場でした。
今回私達が訪れた時は、丁度地区の方がおられて「今はまだお湯が安定していないので、お金は入れなくていいですよ」と言ってくださりました。
充分入浴できるお湯だと思うのですが・・・。
時間が無かったので入浴しませんでしたが、次回訪れた時は温泉に浸かってみたいです。
かいこの家には養蚕道具が多数展示されている
赤岩集落のはずれ、赤岩神社の参道の向かいにあるのが「かいこの家」です。
このかいこの家は、平成十八年に篠原家主屋の二階部分を改造して、赤岩地区内に残る養蚕道具を展示する為に開設されたものです。
二階はかつて養蚕が行われていたところで間仕切りのない広い空間になっていますので、展示には好都合ですね。
篠原家主屋は斜面に建っていますので、道路から入ったところが二階になります。
入り口には資料が展示されています。
この資料の奥側に様々な養蚕道具が展示されています。
赤岩神社は五つの神社を合祀してつくられた
赤岩地区の南端、かいこの家の向に「赤岩神社」があります。 道路脇から参道が始まります。鳥居から300メートルほどの参道を登ったところに拝殿があります。
拝殿の背後の石段を登ると覆屋に納められた本殿があります。
赤岩神社は、明治四十一年(1908年)に赤岩村内にあった諏訪神社・熊野神社・神明神社・飯縄神社・稲荷神社の五つの神社を飯縄神社の境内に合祀してつくられた神社です。
赤岩神社では毎年春と秋の二回祭礼が執り行われます。 とりわけ4月12日に行われる春祭りは賑やかです。
4月11日の夜には、各家の前庭に立てられたボンボリと呼ばれる灯籠に火が灯され、赤岩集落は幻想的で厳かな雰囲気に包まれます。
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毘沙門堂は唯一集落内にある堂
毘沙門堂は赤岩地区の家屋が並ぶ通り沿いに建っています。
現在のお堂は大正十年(1921年)に建てられたものですが、天明六年(1786年)の絵図に「びしゃもん堂」と記されているので、遅くともこの時期には建てられていたと思われます。
この毘沙門堂は、坂上田村麻呂が創建したとされる新潟県浦佐の善光寺の毘沙門天を祀っています。
赤岩地区の他の社寺や堂は集落のまわりにありますが、この毘沙門堂のみ集落内に建てられています。
この毘沙門堂の祭礼は、赤岩神社の春祭前日の4月11日に行われます。
そば畑ではそばの花が満開だった
約1.8ヘクタールの棚畑に蕎麦が栽培されています。私達が訪れた9月は丁度蕎麦の花が開花していて綺麗でした。
ここで収穫された蕎麦は、乾麺の赤岩そばに加工されて地元の直売所で販売されています。
ごみ集積所・その他
ごみ集積所
一見するとごみ集積所とわからない外観をしています。
重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)として、景観を壊さないために苦労されているのでしょうね。
写真は撮りませんでしたが、道路沿いの家では車のガレージも景観を損なわないように、一見してガレージとわからないような造りにしてありました。
こころの赤岩
散策中に見つけた石碑です。赤岩地区の歌ですね。
以下は今回立ち寄らなかったので写真はありません。
文章のみでの紹介になります。
向城(むこんじょう)の観音堂
向城の観音堂は赤岩集落の南よりの山側斜面に建つ小さなお堂です。文化八年(1811年)に再建されたものと考えられています。
ほぼ正方形の平屋建て、切妻造妻入で屋根はもとは茅葺きでしたが現在の屋根は鉄板です。大正三年(1914年)に寄付を募って屋根替えが行われました。
堂内正面に簡易な吊り仏壇があり、本尊である聖観音立像が安置されています。
他に地蔵菩薩像、位牌などが祀られています。
関家の三階屋
関家は、赤岩地区のほぼ中央部の山側にあり、赤岩地区内で最も大きい総三階建ての建物です。
幕末から明治前記頃に建てられたと推定されています。
関家の屋根は、昭和三十年頃までは栗板や杉皮を用いて葺いていましたが、現在は瓦屋根になっています。
建てられた当初は二階建てでしたが、明治中後期に増築されて総三階建てになりました。
二階は間仕切りのない広い一室空間となっていて、昭和三十年代まで養蚕が行われていました。現在は冬期にこんにゃく芋を寝かせておく部屋として使用されています。
三階も広い空間になっていて、こちらも養蚕に使われていました。現在は藁細工を行う場として使われています。
東堂(東堂)
東堂は赤岩集落の南寄りの谷川斜面を石積みで造成した場所に建っています。
間口三間、奥行二間の小さな堂です。建てられた年代は定かではありませんが、正面の虹梁絵様は十九世紀前半の様式ですので、この頃に建てられたものと考えられます。
堂内仏壇には地蔵菩薩を中心に十王などの像が安置されています。他に百万遍念仏のための数珠が木箱に納められて保管されています。
安原家の土蔵
間口約六間半、奥行約二間の二階建ての土蔵で、赤岩地区内で最も大きい土蔵です。
この蔵の間口大きいですが、これは元々あった「中の蔵」に「新蔵」を増築して1棟にまとめたからです。
1階部分には穀物を貯蔵するための穀櫃が設置されています。
鏡学院護摩堂(きょうがくいんごまどう)
鏡学院は修験の寺で、平成三年まで修験者が加持祈祷を行っていました。
壁は土壁ですが、現在は外周が金属板で覆われています。
堂内の仏壇には「不動明王」「役行者」「妙見菩薩」「蔵王権現」などの諸像が安置されています。堂内中央には護摩壇が据えられています。